祈り

わたしは普段から取り留めのないことばかり無題で日付だけ書いてつらつらと書いているので題をつけるのが苦手で、今回も日記とだけ書こうかなとうだうだしていたがこれはただの日記ではなく人にお見せするものなので少しは考えようと思った。

 

依存症のリスクより次の日をやっていける状態に持っていけるかどうかが私にとっての服薬の尺度に変わったことを感じている。前までは依存症にならないことをずっと考えてきたのに、いまはどうしたら体を動かせるようにできるかということばかり考えるようになっていた。これでは社会の部品に成り果てていることの証左ではないだろうか。そうじゃなくともこれからそうなることは容易に想像できる。

暮らしや精神よりも人生を成り立たせるようにできるかという考え方が人をボロボロの使い古された雑巾にしてしまう。

わたしが以前そうだったからだ。睡眠薬で曖昧になりながら頭に残るわけもなく課題をやり、アルコールでなんとか意識を落とし、起きるときはカフェイン錠を飲み、時々ニコチンを摂取する。

これのせいでかなり心身ともにダメージを受けた。一度ダメージを受けたあとはただでさえ治すことは容易ではないはずなのに少なからず存在する社会からの圧力を感じ、精神的に病んでしまったときには自己の認識の歪みによって自分自身が首を締めてくる。こんな状態での回復は難しいことが見込まれるだろう。心療内科若しくは精神科にかかる人の回復の難しさはここにあると感じている。貧血は鉄剤の服用と食生活の指導、胃潰瘍は薬を飲んで胃壁の修復をすれば、帯状疱疹は抗ウイルス剤と痛み止めを服用し免疫力を高めればよいので初期であれば一ヶ月あれば治るだろう。しかし精神的疾患で考えると、状況に応じていつ起きるかわからないパニック発作を抱えている人、時折とても精神が落ち込んで希死念慮が強く出る人、またストレスの出方に依っては記憶が飛んでしまう人、様々な症状があるだろう。

これをやり過ごすためには時折坑不安薬等が用いられるがこれは一時的な補助でしかない。それらは依存性、耐性の形成リスクがある。そしてそれを飲んでいても根底にある認知の歪みには到底たどり着くことはなく、薬は表面的な精神からくる身体症状を抑えたり脳の働きを沈静化させることで危険な念慮の増大を防いでいるに過ぎない。

 

その時をやり過ごす。

そればかり考えて諦めずに服薬を続け、やっと身体を起こせるようになって段々と社会との折り合いの付け方を学んだり、またカウンセリング等を利用して社会の普通について気付かされたりして環境を変えるために動けることもあると考えている。動くまでいけないときは精神保健福祉士等外部機関の支援を受けるのも手だろう。

こうしてダメージが少ない道を選べるようになってようやく減薬という判断がくだされるものだと思っている。わたしはまだ減薬段階に達していないので詳しいことはわからないし、話を効く限りもうわたしはとある薬だけは一生飲まなければならないようだ。この話題への言及は少なめにするべきだろう。もう少し続ける。そして減薬では離脱症状に正しい理解のある医者に巡り会えたら良いと思うがそうでなければ最悪、自殺を招いた事例*1  もある。減薬になってようやく回復のスタートラインなのであるとわたしは考える。今までは足にボルトを入れて松葉杖ないし車椅子を使って移動していたのに突然それ無しで歩けるはずが無かろう。そしてそんな酷なことを押し付ける人は少ないと思う。

向精神薬を何種類も飲んでやっと身体を成り立たせている。

ここまでなんとか死に損なって生き延びてこられた生存者が治療を終えた人であるとわたしは言いたくないし口が避けてもそんなことは言えない。死に損なって、生き延びてくれて本当によかった。わたしは死に損なうという語を大事にしている。生き延びるのは苦しいが死なないように、死に向かっていってしまっても途中で銃口が逸れて生き残っていたらそれでいい。わたしが一番残酷なことを言っている気がするがわたしはまだ人と話をしていたいのでいくらでもひどいことを言っていく。

すこし話が脱線したが、精神的治療の領域での回復が困難を極めること、その理解がまだ少ないこと、回復とは何なのか見失ってしまうかもしれないこと、こんなに忘れちゃいけないことがあるなんてやっていけるわけ無いじゃん!と思ったのでいくら死に向かっていって死にに行ってもどこかで帰ってきてほしいとおもっているということだけ持ち帰ってほしい。わたし自身の生き方への祈りでもある。

そして生き延びた暁に人生から数時間でもいいから離れて一緒に暮らしをしていたいね。常に暮らしができるわけじゃないだろうと高を括っているので時々インスタントな暮らしを用意して暮らしゲージを貯めていたいと思っている。いつかはなくなるし希望も薄いがわたしはまだ生きていたいし、周りの人のためにまだ人生にへばりついて引き摺られていようと思える。

でも引き摺られるの痛いし、正直人生もう嫌だな。

生きてりゃいいと思っていてほしい。

 

[0513,2021]の日記より抜粋。


*1: https://twitter.com/medicinelistbot